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最高裁判所第三小法廷 昭和44年(あ)1876号 決定

主文

本件各上告を棄却する。

理由

被告人らの弁護人石川元也、同上田稔、同阿形旨通、同赤沢敬之の上告趣意第一点について。

所論は、本件建造物侵入罪について違憲(二八条違反)をいう点もあるが、実質は、すべて事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

同第二点について。

所論は、本件暴力行為等処罰に関する法律違反の罪について違憲(二八条違反)をいう点もあるが、実質は、すべて事実誤認、単なる法令違反の主張であり、最高裁昭和三九年一一月二四日および昭和四四年四月二日の各判決の判例違反をいう点は、右判例は、いずれも本件と事案を異にし、大阪高裁昭和四四年一〇月三日判決の判例違反をいう点は、右判例は、本件の原判決宣告後の判例であつて、いずれも適法な上告理由にあたらない。

被告人らが、多数の者とともに、会社当局に対する争議手段として、一頁大の新聞紙に、「犬と社長の通用口」「吸血ババ後藤お松」「社長生かすも殺すもなまず舌三寸」「ナマズ釣つてもオカズナラヌ見れば見るほど胸が悪」等主として、会社社長らを誹謗する文言などを墨書したビラ約六一枚を、会社事務所の窓や扉のガラスに洗濯糊をもつて乱雑に貼りつけた行為は、原審の認定した事実関係のもとにおいては、右窓ガラスや扉のガラスとしての効用を著しく減損するものであり、争議行為の手段として相当ではないとして、暴力行為等処罰に関する法律違反の罪の成立を認めた原審の判断は正当である。

同第三点について。

所論のうち、判例違反をいう点は、所論引用の判例は、本件と事案を異にして適切ではなく、その余は、単なる法令違反の主張であつて、すべて適法な上告理由にあたらない。

同第四点について。

所論は、適法な上告理由にあたらない。

また、記録を調べても、刑訴法四一一条を適用すべきものとは認められない。

よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。(飯村義美 田中二郎 下村三郎 松本正雄 関根小郷)

弁護人の上告趣意

上告趣意第二点 被告人等の本件ビラ貼りの行為は正当な組合活動であつて、共同器物損壊を構成するものでなく、原判決は破棄されねばならない。

一、はじめに

原判決は昭和三五年より同三六年にかけて行なわれた本件平和タクシー労働争議にからみ起訴された刑事事件に於る第一審判決に対する検察官の控訴は大部分正当にこれを退ぞけ乍ら、只一点、本件ビラ貼りについては、その内、机、長椅子等に対するビラ貼り等についてはこれを正当に暴力行為等処罰に関する法律違反の前提となるべき器物損壊罪には該当しないと判示されたが、他方、室内ガラス窓等に貼付した六一枚のビラについてのみ、不当に検察官の控訴は容れて、器物損壊罪に該当すると判示して、一審の無罪の認定を破棄した上、有罪の判断をした。しかし乍ら、右判示は不当にして、弁護人、被告人等はこれを容認し得ないものである。

以下その理由を左のとおり詳説する。

二、本件有罪認定を受けたビラ貼りが、器物損壊罪に該当しないこと

(一) 原判決は有罪と認定されたビラ貼りについて、これを器物損壊と認定したのはそのビラの貼り方、枚数、内容及び貼られたガラス窓の状態等を考慮したものと考えられるが、これは次のとおり器物損壊の構成要件を充足しないのである。

(二) 本件窓ガラスはビラ貼りにより滅却されるべき効用は存在しない。

元来損壊とは言葉の意味に於ては物理的に物を壊すことを意味するものであるが、本件はその意味に於る損壊ではないことは云う迄もない。

そこで所謂効用滅却説が問題となるのではあるが、仮に効用滅却説が正しいとしても、それは前記の損壊と云う意味から考えて、物理的損壊に匹敵する程度のものと解すべきである。

さもなくして如何なる程度の効用滅却も損壊罪に該当すると云うなれば、犯罪についての構成要件を規定した罪刑法定主義の趣旨は全く没却されるに至り、軽犯罪法第一条第三三号や所謂広告物条例等と比較し、その不当性は明かである。

右の趣旨は後に引用する大阪地昭和四〇年(わ)第二五一〇号同四二年四月二七日判決の所謂関扇運輸事件にも判示されているところであり、原判決も「著しく滅却する」と云う言葉を使つて居ることより考えれば必ずしもこの理論を否定して居るものとも考えられない。

しかし乍ら、それでは本件に即して原判決を考える時、窓ガラス、扉ガラスに於る六一枚のビラ貼りは具体的に見て、著しく窓ガラス等の効用を害したと云うことはできず、この点に関する原判決は法解釈を誤り、後に引用する最高裁昭和三九年一一月二四日判決の所謂小郡駅事件判決の判例や本件より後に出たものではあるが大阪高裁昭和四二年(う)第九五三号同四四月一〇月三日判決の関扇運輸事件の判断にも違背するものである。

(三) 右に関し、効用滅却と云うための効用として原判決は本窓ガラス等につき美観と採光と云うことをあげ、その内美的価値を云々するに価しないとして、美観は問題として居られないようであり、弁護人としても同様に考えるものではあるが、本建物の原審に於ける検証等を総合すれば、原判決の採光についての判断は到底これを容認し得ないのである。

即ち、原判決は「元来窓ガラスは採光を主眼とするものであるところ、ビラの貼られた状況が右の如くガラスの殆んど全面をおおつている以上窓ガラスの効用を著しく減却した」と判断されているが、その元来窓ガラスは採光を主眼とするものと判断し、そこから採光を妨げた如き判断をされるのは、納得出来ないのである。

これは原審に於る検証により明かになつたとおり、本件原審に於る検証時に於ては、争議後、数年を経て、ビラの痕跡は勿論、はいだ痕さえなく、平常に執務が行なわれていた状況であり、当日は晴天であつたにもかかわらず、執務は螢光灯をつけてこれを行なつている状態であつた。

何故なれば、原審検証調書によつても明らかなとおり、本建物は周囲に周り廊下を廻らせた上、問題の窓ガラス自体に会社自身が白くペンキで塗り潰し、更にそこには塵が溜つて薄黒くなつている状態である。しかも建物の外には植込みがあり、廻り廊下の後方には、ロツカーその他の物件が雑然と置かれ、到底採光は望み得ない状態である。そこで止むなく、昼と雖も螢光灯をつけて執務していたのである。従つて、本建物の窓ガラスについては採光は効用として、全く問題とはならないのである。

更に付加するならば、本件ビラの貼られていた期間中、会社側は勿論、組合員も本建物に入つて執務していた事実も全くないのである。従つて、右時点に於ても実際上、効用が全く問題とならなかつたことは云う迄もない。

凡そ、物が無価値である場合これを物理的に損壊しても損壊罪に該当しないのは下級審ではあるが大阪地裁昭和三六年(わ)第七四九号同年九月一五日の判示するところである。

従つて、斯様な状況下に於て、ビラを貼つたからとて、元来滅却さるべき効用がなかつたのであるから、著しく効用を滅却したとは到底云い得ないところである。

(四) 仮に本窓ガラスには採光の余地があるとしても、更にビラは大体、窓ガラス一枚につき一枚程度貼られて居り、それは原審検証時に於る窓ガラスを会社自ら白く塗り潰した所よりもはるかに小さく、従つて、第一審判決が、これを比較的整然として居り、外部からの採光は可能と判示されたのは極めて正当と云うべきであり、原審はこの点に関する事実認定及びこれに伴う法解釈を誤つたものである。

(五) 原判決は、弁護人の原審に於る主張中、前記所用の所謂小郡駅事件との対比に対する判断について「……同事件と本件とはビラの枚数に於てやや類似する他は、ビラの大きさ、形状、内容等事案の性質を異にしていることが明かであるから本件には適切でない」と判示して居られるが、本件に於て貼つた場所が事務室の「北・東の窓ガラス、廊下の北・東・南の各出入口の扉のガラス等」と判示して居るように、貼られた範囲が比較的広範囲であるのに比し、貼つた枚数の少数であること、及び事務所の広さに比してビラの大きさ等を考慮し、且つ、貼方についてもビラ一枚をガラス一枚等と云うことを考え、且つ貼つた糊も洗濯糊を水で薄めたものにして、洗えば容易に落ち痕跡を留めないことがはつきりして居るものであること等を綜合する限り、これは小郡駅事件の事例に類するものである。原審が単にビラの大きさ、形状及び内容等丈をとらえて建物全体との相関関係等に意を用いることなく、「事案の性質を異にしている」と判示されたのは誤にして、原判決が右小郡駅事件に於る最高裁の判例(昭和三七年(あ)第四六八号同三九年一一月二四日第三小法廷判決)に違背し、破棄を免れないことは明かである。

(六) 右に関し、前記のとおり援用した、関扇運輸事件第一審大阪地裁昭和四〇年(わ)第二五一〇号同四二年四月二七日第三刑事部判決=判例時報第四九八号第八四頁=は事案の認定につき、二つに分けて、構成要件に該当しないと判示された部分につき、

「……同建物備付の窓ガラス戸二九戸、出入口引戸に前同様(新聞紙によるビラ=本件ビラの二倍の大きさ)のビラ合計八八枚(原審検察官の大きさ比較較量方法により換算すれば本件ビラにして一七六枚)の貼つた」事案につき、器物損壊罪の構成要件に該当しないと判示されて居り、尚、付加すれば、右事案に於ては剥離の後若干痕跡を留めていたのに比し、本件は更にそれよりも程度が低く、剥離の後、全く痕跡を止めていなかつたのである。これに比較すれば、右関扇運輸事件に対し、遙かにその程度の低いことの明らかな本件が器物壊罪に該当しないことは明かである。

しかも右第一審判決は、本原審判決より後ではあるが、同様大阪高裁第二刑事部昭和四二年(う)第九五三号事件により高裁判決として支持されているのである。従つて、これと比較する限り、本件が器物損壊罪の構成要件を充足しないこと明かにして、この点からも原判決は破棄されるべきである。

(七) 尚、原判決はビラの内容が、ひわいに渉る等のことを器物損壊の一内容として居られるようであるが、これも亦、不可解と云うべきである。

凡そ、名誉毀損、侮辱罪等その内容が問題となる事案なればいざ知らず、器物損壊は、損壊の対象となるべき物を壊したか、又は効用を滅却したと云うのに対し、ビラの内容がどうあると云うことで効用が左右されるものではないのである。内容を以て、器物損壊となると云うなれば、それこそ犯罪の類型を定めた刑法の趣旨は全く没却されるであろう。

この点に於ても原判決の不当であることは明かである。

三、本件ビラ貼り行為は労働組合法一条二項の正当な団体活動である。

(一) 前述のように、本件ビラ貼り行為は、それ自体器物損壊罪の構成要件に該当しないものであることが明らかであるが、かりに右行為が一般的には「窓ガラスの採光の効用を著るしく滅却している」ものとしても、本件は流動する争議行為の場で労働組合の要求貫徹のための団体行動の一環としてなされたものであつて、その動機、目的、手段、方法の程度、態様、会社側の態度、被害法益との関係など諸般の事情の中で総合的に判断するならば、本件のごとき状況のもとでは、労働組合の正当な行為を甚しく逸脱したものということはできず、労組法一条二項、刑法三五条の正当な行為として刑罰の対象とはなすべきでないといわなければならない。

(二) 原判決は、本件ビラ貼り行為が、「窮極的には、被告人らの要求を貫徹するためのものであることは理解しうる」としながら、「本件ビラ貼り行為の態様、ビラの文言等に徴すると、労働争議の手段として相当でなく、違法性を阻却するものとはいえない」として、弁護人の主張を排斥した。

原判決の論拠は、つまるところ、「ビラの貼られた状況が窓ガラスのほぼ全面をおおつている」ことと、ビラの内容が「会社職制の個人的誹謗にわたるものが殆んど」であることの二点につきる。

ここには、被告人らを含む平和タクシー労働組合が本件行為の日である昭和三五年六月一七日にいかなる経緯によつて全面ストライキに突入せざるを得なかつたか、それまでの会社経営者およびその意を受けた職制らにより団体交渉拒否をはじめとする度重なる不当労働行為、さらには本件公訴事実の後ではあるが、会社側の争議行為に対する基本的態度のあらわれとしてきわめて象徴的な暴力的車輛搬出行為(本件と同時に起訴され二審で無罪確定)にみられる手段を選ばぬ組合に対する団結破壊、不法な争議切りくずしの数々についての考量はなされていない。

また、本件ビラ貼り行為が、争議行為という平常の業務活動や労使関係が一時的に停滞遮断される一定の労使対立の流動状況のなかで、労働組合の団結の示威、要求事項の宣伝のほか度重なる会社側の不当労働行為に対する抗議の声を集約し意思表示するためになされた団体行動の一環であること、したがつてビラの内容文言も単に平常時の感覚で固定的に律するだけでは、総体的な判断として不十分であることについても、原判決は全く配慮を欠いているといわなければならない。

さらに、本件ビラ貼りが争議行為中の一時的なものであつて、当然に原状回復を前提としており、それゆえに水洗いによつて容易に剥離できるように洗濯糊を水で薄めた糊を接着剤として使用していること(事実後日水洗いで容易に原状に復しその痕跡をとどめてない)、当時本件ビラ貼りの対象である本社営業所事務室はスト突入以後、全く営業事務を停止し、外部からの採光(もともと平常時においても殆ど用をなしていないことは前述のとおりであるが)の必要もなかつたという事情。したがつて法益侵害態度の軽微性についても、原判決は考慮の外に置いている。

これらの諸要因は、労働組合の団体行動の正当性の判定に当つては、当然に十分斟酌されなければならないのに、前記のように貼付の状況と内容文言だけを全般的状況から切り離し、これを一般的に平常時の感覚で違法視した原判決の判断は、憲法二八条労組法一条二項、刑法三五条の解釈適用を誤つたものといわなければならない。

(三) ところで、本件ビラ貼り行為が、かりに原判決のいうように「手段として相当でない」点があるとしても、それでもつて直ちに刑事罰をもつて臨まなければならないほどの実質的可罰的違法性をおびていると即断することは許されないところである。あくまで「労働基本権尊重の憲法の精神からいつて、争議行為禁止違反に対する制裁がとくに刑事罰をもつてする制裁は極力限定されるべきであつて、この趣旨は法律の解釈適用にあたつても、十分尊重されなければならない」として、労働基本権の行使に対する刑事罰適用には慎重であれとの趣旨を述べる最高裁都教組事件判決(昭四四・四・二)の精神をこそくみとるべきであつて、単に争議行為の手段として相当でないから、直ちに可罰的違法性があるとする原判決の論旨は右判例の立場に実質的に背反するものといわねばならない。労働基本権の行使に伴う一定の行為が可罰的な実質的違法性をおびる程度は、単に相当でないというだけでなく、労働法の理念に照らして、労働組合の活動として甚しく常軌を逸する程度のものを指すものというべきであり、その判断は、前述の諸般の事情をすべて総合的に考察することを不可欠とする。

本件の場合、ビラ貼り行為に至る経緯、目的、会社側の不信行為の積み重ね、「被害」の軽微性、原状回復の容易さなどの諸要素を総合するとき、どうみても刑罰をもつて処断されなければならない程の実質的違法性は認められないというほかない。ビラの文言内容にしても、原判決がきめつけるように一方的に個人的誹謗に終始するものではなく、そこには度重なる会社経営者、職制らの不法な行為が先行していることに対する抗議の意思と組合の団結による争議遂行と要求貫徹の意思が如実に示されているにすぎず、形式的に違法視さるべきものではないのである。〈以下第三点、第四点、省略〉

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